プロローグ
時は二千八百年。時代は回りに回って第二の幕末を迎えていた。
今から百五十年前。つまり二千六百五十年に、文明も発達し一通りの電化製品やら最新テクノロジーを駆使した発明を発表したところで、日本政府はそれを全て捨てた。人型ロボットが一般家庭向けに発売され、ある時期からそのロボット達に感情が芽生え、事件にまで発展してしまったのだ。それを受けて、人々は次第に人類滅亡の危機をひしひしと感じ始め、政府は今までの文明を江戸時代まで遡ろうとしたのだ。徳川が国を治めていた、あの頃へ・・・。

あの頃の日本も決して平和とは言えなかったが、ロボットに命を狙われることも、太平洋戦争での原子爆弾の恐怖に震えることも、ましてや戦国時代のように頻繁に戦が起こることも無かった。何度も議会を重ねた結果、日本は他の国を押し切って鎖国宣言をする。そして、江戸時代へ時代を戻すため、強制的に電化製品などの文明の器機は取り上げられた。もちろん人型ロボットも・・・。人々は再び着物を着て髪を結い上げ、『士農工商制度』も復活した。

しかし、日本の鎖国時代もそうそう長くは続かなかった。海外からの要請により、二千八百年には開国を余儀なくされた。だが、現在の日本は鎖国をして既に百五十年が経ってしまっている。今国内にいる者達は鎖国前の日本を知らない。つまり、本当に江戸時代の人間と同じなのである。違うのは、ピアスや指輪などのアクセサリーがあったり、カラーコンタクトやブリーチ剤があることくらい。そして言葉は進化したままであるので、馴染みの横文字言葉は出てくる。だが違いはその程度なのだ。つまり、外来船がやってきたときには、第二の黒船状態だったのである。ここまで時代を繰り返せば、次にやってくることも同じ。幕府を挟んで国は真っ二つに割れた。第二の幕末を迎えたのである。

だが、そんな世情とは裏腹にいつの時代も若者は元気で、いつの時代も人の心は代わらない。これは、そんな激動の時代を力いっぱい生き抜いている人々のなんとも可笑しく、なんとも愛にあふれた人情物語である。

時は幕末動乱の時代。揺れ動く世情もなんのその、今日も町は大賑わい。ここは大江戸日本橋。これが天下の城下町。

本日は晴天なり。青々としたキャンパスに、薄く伸びる白。そしてその中に地上をギラギラと照らす赤。空はまるで水彩画の様に晴れ晴れとしている。季節柄蝉は一向に鳴き止まないが、そんな鳴き声も聞こえないほど江戸の街は賑わっていた。お茶屋からは茶髪の看板娘が元気に働いている声、質屋に入れば誰かからの貢物であろう高級そうな指輪の値段を交渉している声がする。道端では若者が歌を歌い、少し脇に入った通りでは浪人達が刀を抜いて斬り合いをしていた。なんとも賑やかである。

そんな中に、一際賑やかな一角があった。一人の男を囲むように、人がわんさか集まっている。
その中心にいた人物とは、瓦版配りをしている重松という男であった。この男、職業柄か情報通で、裏では江戸の情報屋と呼ばれていた。だが、いつも瓦版を配り終えると何処かへ消えてしまい、プライベートをまったく明かさないので、只の瓦版配りの重松と江戸の情報屋の重松が同一人物であることを知る者はほとんどいなかった。年の頃は二十台前半の美青年。脱色ではない天然物の金髪と、カラーコンタクトではないこれまた天然物の碧眼が、異国の血であることを物語っていた。だが、重松はその人を惹きつける巧みな話術と、甘いマスクからは想像できないべらぼう口調で人々の心を掴み、奥様方からは『重様』などと呼ばれていた。

「重様。号外なんて久しぶりだねぇ。」
「今日はどんなスキャンダルだい?楽しみにしてたんだよ。」
いつの時代も奥様達は噂好き。歌舞伎役者の熱愛が記事にでも上がろうものなら大騒ぎだ。重松はそんな奥様達の期待の目に、にやけた顔で答えた。
「今日は今までにねぇとっておきの話だぜ。熱愛騒動でも汚職事件でもねぇ。家族愛が生んだ命がけのストーリー。勿論ノンフィクションよ。」
重松の話を聞いて、群がっていた人々の目が輝いた。
「おい、重さん。もったいぶってねぇで早く聞かしてくれよ。」
中々話始めない重松に痺れを切らしたのか、一人の男から催促の声が漏れる。重松はそれを受けて、満面の笑みを浮かべた。
「よしっ。そんじゃあ話してやっか。瓦版は俺の話が済んだら配ってやっからよ。」
そう、これが重松のやり方。『号外』と叫んでやって来たかと思えば、肝心の瓦版は配らずに必ず話を始める。まさに内容は瓦版に書かれていることなのだが、それを一通り話し終えてから瓦版を配るという一風変わったスタイルが重松流なのである。最初は町の人々も戸惑っていたが、今ではそれが楽しみですらある。そして今まさに目の前で、重松の『話』が始まろうとしているのだ。
「皆、隣村の農民平五郎って男は知ってるか?これは、その平五郎一家の話なんだが・・・」
灼熱の太陽が照らしつける中、つーっと頬を伝う汗。誰一人としてその汗を拭うことすら忘れて、重松の話に聞き入っていた。

この江戸の町から日本橋を渡り、少し入った所に隣村があった。そこは賑やかな江戸とは打って変わって川のせせらぎが聞こえるような静かな村だ。住んでいるのは農民ばかりで、ここはまさに農民の集落である。小さな村だけに、村人全員が顔馴染み。皆が皆を助け合って生活をしていた。そしてその村に、平五郎一家の家があった。

平五郎は、もとは下級武士の出であるが、訳あって農民に身分を落としてしまった。まだ武士の頃に娶った妻お幸は、やはり武家の娘で、平五郎が御家取り潰しとなった時に実家から離縁するよう言われたが、子供たちを連れ駆け落ち同然で平五郎についてこの村まで来た。二人の間には、今年で十九になる弥七とお光という双子の兄妹と、十四歳の末娘、お花。三人の子供がいた。どの子もとても素直な子達で、農民になり生活が苦しくなっても、文句も言わずに働いていた。そして何より、農民にして置くには勿体ない位、美貌の兄妹であった。村に移り住み、家族五人、決して裕福ではないけれど幸せな生活を送っていた。

だがしかし、そんな時間も長くは続かなかった。もともと身体の弱かったお幸は体調を崩し、この世を去ってしまったのだ。末娘のお花も生まれつき病弱だったため、平五郎と双子の兄妹は生きていく為に必死で働いた。それでもこういうことは続くもので、遂に平五郎まで病に倒れてしまったのだ。極度の疲労と精神的なものから来る過労と診断されたが、遂には一日中床についているような状態になってしまった。弥七とお光は平五郎と、そして宝物の様に育ててきたお花の為に、畑を耕しては江戸の町へと行商に出た。

家族全員仲は良いのだが、弥七とお光はいつも喧嘩をしていた。喧嘩といっても周りから見れば売り言葉に買い言葉程度のレベルの低い喧嘩だ。周囲からは『まるで夫婦漫才を見ているようだ』と良く笑われていた。つまり、それくらいお互いをよく知っていて、何でも言える間柄なのである。二人とも明るく元気でとても人情深く、どんな時でも笑顔を絶やさなかった。行商に出ていた江戸の町でも評判が良く、町の人々もよく気にかけてくれていた。
そんな二人が何よりも大切に思っているものは妹のお花だった。お幸がこの世を去ってから、お幸の分まで愛情を注いだ。二人にとってお花は、宝物であった。